地元に戻ってしばらくした私、ふとYouTubeを見ると、隣の隣の街が広がる海峡の花火大会が生中継されていた。 実はこの日まで、その花火大会の花火は見たことがなかった。なぜなら、その間に限界集落でもある祖母の家に帰省することがほとんどだったから。しかし、今年は若干その期間がズレ込み、運良く見れたという訳である。
最初は「画面越しで見る花火なんて風情が薄いよなぁ」と、半分の意識で見ていたが、やはり花火というのは不思議なもので、ついつい魅入ってしまい、最終的には食い入るようにスクリーンをみる我が家だった。
さてさて。その花火大会なのだが、実は一風変わっていたところがある。それは、その花火大会の開催の仕方である。実はこの花火大会、一つの花火大会というよりは、2つの花火大会の同時開催といった表現が近かっかったりする。それもあって海を挟んで北側と南側、それぞれの花火大会の日時を合わせているものの、全く同じ感覚で花火を打ち上げる訳ではないようだ。その証拠に、今年は打ち上げ花火の数が、北側のほうが3000発ほど多かったようだ。
ここでついついやってしまうのが「どっちの花火が好き?」という話。結論から言うと、私は北側の花火のほうが良かったと感じた。北側ってそんなに派手だったの?と、思われるかもしれないが、実は派手だったのは南側なのだ。 ただ、少しの違いではあるものの、圧倒的に良く感じた理由がある。それは「風」だ。北側は、風を予測していたように、打ち上げ後の煙が流れる時間まで見事に合わせているかのようだった。風に煙を任せる間、自ずと静寂が生まれるのだか、その静寂がさらに花火の迫力と、儚さを際立たせていたように強く感じたんだと思う。
自分たちでは制御できないものを計画に結びつけることは、かなり難しい。でも、まるでそれをこなしているかのような、見事な花火だった。その演出の勇気がとても私は好きで、素敵だと思う。やはり花火は、余韻ではないだろうか。